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私のために私が書くブログ

可愛い女の子が好きな中卒で発達障害で愛着障害を持つ人が書くゆるゆるブログ。

群れから外れる事による恐怖

 

動物も人間も、生き物は群れを成して生きている。

群れから外れてしまうものは、淘汰される。

 

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動物のドキュメンタリー番組を見たってバラエティ番組を見たって、ただ日常生活を送っているだけでもそれは充分に痛感できてしまう普遍的事実だ。

そう思うように“なってしまった”。

 

人が三人以上集まればその中であるゆるものに「平均」が生まれる。

そこから外れてしまわないようにするのが今のこの日本で生きていく掟。

 

群れに溶け込み生息するかどうかがともかく重要であり、例え群れの中で強いられる行動が意味を大してなさないものだとしても、それを拒否するのは群れ社会で生きるには致命的行為。

私たちは群れから外れないようにずっとずっと、幾度にも渡り、

教育、整備、脅迫されてきた。

それはとても潜在的に、無自覚に。

 

しかし身体のつくりにより、絶対安全圏のような力をもつ“定型発達者”という群れでは生息することが不可能、命をガリガリと削って無理をしないと群れに残ることが出来ない個体は確かに存在する。

 

それが私たち発達障害者。

 

私は必死にその障害者という事実を隠す。

まだ私には精神を削る代償として、その特性を隠す能力が備わっていたから。

今の私を取り巻く環境ではまだそうして誤魔化して隠して生きなければ、まともな待遇を受ける権利を無くし、食い扶持を無くす危機に犯されることになるから。

 

とにかく淘汰される事から避けなければいけない。生きるために。

 

私は1年前、定形発達者たちが成す大きな群れにしがみつく事は無理だと自覚した。

発達障害という存在を知らなかったあの頃、毎日ベッドの上で罪悪感で涙を流し、謝り続けていた。

毎日が自殺願望との闘いだった。

 

だから私は定形発達者の群れから、外れてしまった人達を受け入れると謳っている群れを発見し、そこへ向かう事にした。

 

しかし結果は、その群れに入る事を私は拒まれてしまった。

 

私は発達障害としてなにか公的支援医療機関に然るべき対応を受けている人が心底羨ましいと思う。

 

決して定形発達者たちが成すあの大きな力を持つ群集の安心感はないけれど、

例え小さくても群れは群れ。

一つの群れに生息することを許されているのだから。一つの住処を手に入れているのだから。

誰かの障害手帳を取得したという言葉が苦しくて、妬ましいとすら感じてしまった時期もあった。あの時は、ただただ絶望だった。生きる道を閉ざされたと深く失念してしまっていた。


定形発達者という群れから拒まれ、

発達障害者という群れから拒まれ、

そして家族という最低限必要な群れにも私の居場所はなかった。

私が もがけばもがく程、一人ぼっちという角印をこの身に刻むだけだった。

 

なんでわたしはダメだったんだろう。わたしは本当はただの怠け者なだけなのか、こんなに苦しいのも嘘なのか、悲劇のヒロインが妄想するただの空想なのか。

と自分の価値観や思考回路すべてが間違い、嘘なのではないかと自分の何もかもを疑った。自信をなくした。

 

医者からの「よくあること」

「その程度では自立支援は受けられない」「障害手帳は受けるべきではない」

 

 その言葉は、誰かから助けを求める事を諦めるよう宣告されるようだった。

 

 

 

「群れから外れてしまった人の生きる術」

 

それは群れ社会でやっていくことが出来ている人には想像なんてしなくていい世界だ。

だってそんな事をわざわざ考えなくても生きてゆくのに不便も損もしないもの。

 

だからいつまでたっても群れ社会でやっていくのが厳しい人達の境遇の整備は遅れてゆき、ただただ少数派が追い詰められていく現状がここにある。

 

私は今日も、群れ社会にそぐわない行動をしてしまったとひどく落ち込む。

 

明日には群れから追い出されて「淘汰」されるのではないかという恐怖で眠れなくなる。

 

どんどん心はやられてく。

 

心を病むと、また群れから遠ざかってしまう「異質な特性」が私に付加される。

 

ずっと群れから外れないように教えられてきた。

 

 だけど、それが努力しても努力してもできない人には、なんて酷なシステムたろう。

  

この世には定形発達だけが存在する訳では無い。

 

ときどき紛れ込む発達障害者には定形の生き方だけを提唱するのは不効率だ。

それでも定形発達者達はその指導方法に疑問はもたない。

 

はやく、この現状を変えて次の世代にはもっとよりよい世界を享受させてやるのが我々大人の使命だと思う。

発達障害者が淘汰されない世界へ。

 

 

最後に。

今回はあえて断定的文章を書くことを意識しました。受動型アスペルガーの自分が、主張を突き通せるようになるリハビリとして。極論故に反対意見もあるだろうなぁと覚悟しております。是非コメントやTwitterのリプで意見を下さると嬉しいです。そして、私に手帳取得などの呟きを控えるなどの配慮は必要ないです。どんどん発達障害者同士の情報交換として呟いていき、発達障害者への待遇をより良くしていくことが大切だと思っています。それに今は辛い時期は乗り越えたのでもうその類の言葉の精神的影響も免疫がついて平気になりました。
 

ではここまで読んでくれてありがとうございました。とても卑屈な私ですが、障害者雇用枠で働きたいと思っているのでもう一度、精神手帳取得の為、診てくれる病院探しから始めようとおもいます。

 

がんばる、ぞ!